現在も活躍するピサロの血統。19世紀フランス印象派画家、カミーユ・ピサロ。

 今回は「芸術の秋」という事で、19世紀フランスの印象派を代表する画家、カミーユ・ピサロについてご紹介しようと思います。

 ピサロの両親はボルドーからカリブ海のセント=トマス島に移り住み雑貨店を営んでいました。ピサロは1830年にこの地で生まれ、少年時代を過ごします。画家になる夢を抱いていたピサロは11歳の時にフランスに渡り、寄宿舎制の学校に通うようになります。しかし17歳の時、ピサロは夢を断念し帰郷してしまいます。しばらくは家業を手伝っていましたが画家になる夢をあきらめきれず、25歳の時、再びフランスへ渡ります。パリにあった画塾アカデミー・シュイスで学び、そこで10歳年下のモネと知り合ったそうです。

 ピサロは1874年、44歳の時にモネらと共に私的に展示会を開催しました。当時全く注目を浴びることのなかったこの展示会はのちに第一回印象派展と呼ばれるようになります。ピサロは計8回すべての印象派展に参加した、ただ一人の画家です。
 印象派の絵画は当時主流だった写実主義の細かいタッチとは異なり、荒々しい筆致が多く、絵全体が明るく色彩に富んでいました。光の動きや変化の質感をいかに表現するかに重きをおいているのが特徴です。多くの画家達がこれに賛同し、印象派は世界中に広まっていきました。

 印象派の画家の中で最年長者であったピサロは温厚な性格で画家仲間からの信頼も厚く交友関係も広かったそうです。また、ゴッホやセザンヌらの若い世代の画家からも大変慕われていました。セザンヌはとても気難しく、人を寄せ付けなかったそうなのですがピサロを師と仰ぎしばしば共同制作をしたり、ピサロがセザンヌの肖像画を描いたりしています。
 また晩年は後期印象派の画家として有名なスーラの影響もあり、点描画の作品も残しています。点描画とは字の通り無数の点で描く技法です。ピサロは自分より30歳も若いスーラと絵画技術について語り合ったそうです。晩年は個展も開き成功を収めていたピサロですが、今の技術だけに満足せず、若者の意見を聞き、常に新しい技術を取り入れ良い作品を描こうとする姿勢が感じられます。

 ピサロには妻との間に5男2女の7人の子供がいました。なんとその5人の息子全員が画家だったそうです。中でも長男のリュシアン・ピサロは有名です。そして孫の中からもひ孫の中からも画家が誕生しており、ピサロの血を引く画家は現在でも活躍しているといわれています。

 カミーユ・ピサロの絵には彼の温厚な人柄がよくあらわれています。優しく、観ている人を癒してくれるような絵です。芸術の秋、彼の絵画に癒されてみませんか。

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