ショパンと同棲!?。初期のフェミニスト、女流作家ジョルジュ・サンド。
彼女はフランスの女流作家であり、初期のフェミニスト(女権拡張論者)として知られています。本名はオーロール・デュパンといい、作曲家フレデリック・ショパンと同棲生活を送っていたことでも有名です。
1804年、パリの軍人の子として生まれますが、父の死もあり幼少の頃をノアンにある母方の祖母の家で過ごします。この田舎での生活が後に執筆することとなる「魔の沼」、「愛の妖精」など田園小説のモチーフになったそうです。
18歳のとき、カジミール・デュドヴァン男爵と結婚し1男1女をもうけますが、それからしばらくするとうまくいかなくなり別居します。その後、詩人のアルフレッド・ド・ミュッセ、音楽家のフリッツ・リストなど多くの男性と関係を持ったといわれています。
ショパンとは1838年からの9年間を共に暮らします。病気がちだったショパンを彼女が支え、二人はうまくいっていたのですが、彼女の子供達をめぐるトラブルから破局してしまいます。サンドとサンドの娘は折り合いが悪く、娘はショパンを味方につけていました。サンドは息子だけに愛情を注ぎ(どうやらマザコン息子だったようで)、息子はショパンのことを良く思っていなかったそうです。「サンドと息子VSショパンと娘」という形で二人の関係にも溝ができていったようです。
一方、作品はというと1831年にジュベール・サンドーとの合作でデビューし、その後「アンディアナ」で注目を浴びます。また男装して社交界に出入りし、「男装の麗人」といわれ話題となります。芸術家には多いことですが、ショパンは少し男性も好きな傾向があったようで、サンドの男装姿をみて一目惚れをしたといわれています。1840年代には政治志向を強め2月革命に際しては政治活動に参加しています。その後も女性権利拡張運動を主導すると共に文学作品をかき続け、1876年72歳でその生涯を閉じました。
以前ルノージャポンで働き、長年パリで生活した経験のある女性に「フランスで有名な人物を教えて下さい」とお願いしたところ、返ってきたのがジョルジュ・サンドでした。
フランスでは大変有名な女流作家で、その女性はサンドのことを「いつか物語にしてみたい人物」と言っていました。サンドは自分をしっかり持っている強い人だと思います。また、人としても女性としても魅力的だったのでしょう。
現代に生きる人々をも引き付ける彼女の作品を一度読んでみたいものですね。
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