ルノーF1 〜頂点を駆け上がるまで〜。

 ルノーのF1参戦は、1977〜85年、1989〜97年、そして2002年〜現在に大分されます。ルノーF1チームとしてチャンピオンになるまでの挑戦はたいへんなものでした。
 1977年からはルノー・スポールとして車体とエンジンの両方を製造するフルコンストラクターで参戦。3リッター自然吸気エンジンが主流の中、ルノーは1.5リッター・ターボチャージャーエンジンを初めてF1グランプリ界に持ち込みました。当初は度々エンジントラブルでリタイアしましたが、着実に信頼性を上げ何度か勝利を掴みました。コンストラクターとしては85年で撤退、エンジンサプライヤー(供給者)としては翌年まで他チームに供給をしましたが、残念ながらタイトルを獲ることができませんでした。

世界中に強烈なインパクトを与え、よみがえるルノー。
 数年間の期間を経て、1989年名門ウイリアムズチームとコンビを組んでF1界に待望の復帰を果たしました。エンジン供給のみでの参戦でしたが、新たな「ニューマチックバルブ」エンジンを導入。89年、90年はかのアイルトン・セナ、アラン・プロストを擁するマクラーレン・ホンダやフェラーリに何度となく勝利を奪われましたが、91年にナイジェルマンセルがチームに移籍し、翌92年に待望のドライバーズとコンストラクターズでのダブルタイトルを獲得、92年〜97年までコンストラクターズタイトル6連覇の偉業を達成し、世界中に強烈なインパクトを与えました。

100%ルノーF1チームの誕生とタイトル制覇。
 2000年、以前エンジンを供給していたイタリアのベネトンチームを買収、翌01年はベネトン・ルノースポールとしてエンジン供給を行いました。02年からマイルドセブン・ルノーF1チームとして完全復帰、そのときマネージングディレタターのフラビオ・ブリアトーレは2005年に「タイトルを取る」という目標を打ちたてました。そして年々優勝回数を増やしていきます。

 2005年、フェルナンド・アロンソ(スペイン)とジャンカルロ・フィジケラ(イタリア)のコンビで開幕から4連勝し、そのままシーズンを走りぬけ目標どおり19戦8勝の貫禄がちで、ついにルノーF1チームとして初の完全なるダブルタイトル獲得となりました(第2期はウイリアムズ・ルノーとしてのコンストラクターズタイトル)。


2005-2006ドライバー・コンストラクター連続チャンピオン、新たなる挑戦。
 ルノーF1チームは06シーズン、フェラーリとの接戦の結果タイトル防衛となる、2年連続両チャンピオンシップを制覇しました。これは2000年以降フェラーリとルノーしか成し得ていない偉業です。秋に鈴鹿で行われた日本GPの優勝が、両チャンピオンシップをほぼ確定する大きなポイントなったのは記憶に残ります。07シーズンは長年親しまれたJTのマイルドセヴンではなく、オランダの企業“ING”がメインスポンサーになりマシンのカラーリングも大きく変わります。またドライバーもフェルナンド・アロンソの移籍、ヘイッキ・コバライネンの昇格にともない大きく変化しようとしています。来年のデフェンディングチャンピオンも大いに期待です。

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